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昭和42年「羽越水害」

更新日:2020年5月13日更新 印刷ページ表示

羽越水害の概要

昭和42年8月28日から29日にかけて降り続いた雨は、本町で日雨量532ミリを記録し(年間降雨量の4分の1)小国町をはじめ、新潟・山形両県の4市8町に大きな被害を与えました。町内の全河川がはん乱したのをはじめ、各所で土砂くずれが続出し、死者2名を出したほか、家屋の流失・浸水、農地の流失・欠壊、それに交通、通信施設が破壊されるなど未曾有の大災害をもたらしました。その被害額は実に76億4,373万5,000円の巨額にもおよび、当時の小国町の予算の20年分が一夜にして流されました。

泥沼と化した町の復旧から復興へ。この時の町民一人ひとりの心の結集が、今のまちの姿にあらわれています。羽越水害は後世につたえていかなけばならない大きな出来事のひとつです。

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濁流のをこいで避難所へ(8月28日夜)

濁流のをこいで避難所への写真

右岸がもぎとられた小国大橋 小国町側から小国小坂町方面をのぞむ(8月29日午前4時40分頃)

右岸がもぎとられた小国大橋の写真

赤坂橋上流砂田付近一帯をうめた濁流(8月29日午前6時頃)

赤坂橋上流砂田付近一帯をうめた濁流の写真

飯綱神社から、小芦5丁目付近をのぞむ(8月29日午前7時頃)

飯綱神社から、小芦5丁目付近をのぞむ写真

土砂で埋まった砂田

土砂で埋まった砂田の写真

小国大橋右岸にあった家が流された跡は、洪水のすごさを物語っている

小国大橋右岸にあった家が流された跡の写真

赤坂橋から小国大橋方面の無残な姿

赤坂橋から小国大橋方面の無残な姿の写真

小国中学校に避難した人びと (8月28日夜)

小国中学校に避難した人びとの写真

右岸がもぎとられた小国大橋 小国町側から小国小坂町方面をのぞむ (8月29日午前4時40分頃)

右岸がもぎとられた小国大橋の写真

県社山下、五百刈付近にはん濫する洪水 (8月29日午前6時頃)

県社山下、五百刈付近にはん濫する洪水の写真

小国駅前に転がるブナ丸太は 小国町木材利用工場から流れ出したもの

小国駅前に転がるブナ丸太の写真

流木で山となった小国大橋 小坂町から小国町方面をのぞむ

流木で山となった小国大橋の写真

なくなった八木沢集落 8世帯全部が流出して八木沢部落は全部他に移転した

なくなった八木沢集落の写真

土壌がきれいに流されてまった伊佐領地内の横川の河岸

土壌がきれいに流されてまった伊佐領地内の横川の河岸の写真