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笹生代官屋敷跡(ささおだいかんやしきあと)
約4反9畝(約49アール)
小国町指定文化財(史跡第5号)
昭和60年3月31日
小国町大字増岡・笹生屋敷
個人
ここは、上杉景勝が置賜を所領したとき、代官として小国の民生を担当した笹生源左ェ門広秀と、その子久兵衛洪秀父子が60年にわたり住まいしたところである。敷地は一辺約70メートルの方形で、その一部が残っている。
慶長6年8月、上杉景勝は会津120万石から米沢30万石に減封されたが、家臣は一人も離さず引き連れて米沢に移ってきた。そのため住宅、食料対策に重点がおかれ、米の増産、開墾の奨励にあたられた。これまで水利の便が悪かった未使用の土地を開墾し、堰を設け水を通して開墾・開田の事業を進められた。三岡(増岡、松岡、泉岡)、三原(新原、町原、長者原)などは開田の対象となったことで知られる。増岡は、久兵衛の時古田に井の下堰(増岡堰)をつくり金目川を引き入れ開田した。現在、代官屋敷跡には「蔵主権現」が祀られ、鳥居と祠、そして、樹齢300年と推定される杉の大木がある。屋敷取りこわしの際蛇が出てきたので、蔵主として祀ったと言われている。