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玉泉寺の聖観世音菩薩像(ぎょくせんじのしょうかんぜおんぼさつぞう)
小国町指定文化財(彫刻第5号)
昭和58年3月31日
小国町大字玉川
岩松山玉泉寺
像高47.7cm
肩張25.5cm
膝張31.5cm
玉泉寺のある玉川集落は、小国町の南部方面に位置し、飯豊山系の山々から流れ下って来た清流・玉川の左岸に開けた集落である。
この集落には、集落内を東西に横切る旧越後街道(山道)と、南北に横切る県道の二道が通っており、両道の交差した付近からわずか50mほど山側に、天正2年(1574)開山の岩松山玉泉寺がある。そして、町指定文化財「玉泉寺の聖観世音菩薩像」は、この寺に安置されている。
本像は、像高47.7cmの一木造りの座像で、底部にはひび割れを防ぐ為に”内刳”(うちぐり)が施され、読み取れない部分もあるが、そこには、墨書きで次のような造像銘が残されている。
「為○○○奔 大旦那 嘉吉三年癸亥三月九日 敬白」(嘉吉三年=1443年)
蓮台上の像頭部には、三つの宝塔で飾った宝冠を頂き、宝冠からは左右に2本の天冠帯が下がり、天冠帯の末端は膝の上で横たわっている。慈悲深い面立ちで像は右手をやさしく上にあげ、左手には水瓶を携えている。しかし、水瓶には蓮華の花や蕾は特に見られない。
観音菩薩は、観世音菩薩、あるいは観自在菩薩ともいわれ、一般には観音様の名で親しまれており、衆生の求める救いの声(音)を観察して、自在にその姿を変え、苦から救ってくれる慈悲・救済・代受苦の仏だとされている。そして、聖観世音菩薩の「聖」とは「正」のことで、様々な姿に変化(へんげ)する以前の最も基本となる観音様のことである、と仏書では説かれている。
町指定文化財「玉泉寺の聖観世音菩薩像」は、地域の人から、馬頭観音として尊ばれてきたものであるが、それについては次のような説がある。
「大里峠が伊達稙宗によって開通され、越後と牛馬による物資輸送が盛んになると、専ら馬頭観音として尊信されるようになった」(『小国の文化財』)。
嘉吉三年銘のこの像は、玉泉寺の開山に先立つ事およそ130年前、大永元年(1521)旧越後街道大里峠が開削される80年程前、そして、今(2017)から570年余前の室町時代の作であるが、どのようないきさつを経てここ玉泉寺に迎えられたかはわかっていない。