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多福寺の欄間(たふくじのらんま)
小国町指定文化財(彫刻第12号)
昭和59年3月31日
小国町大字沼沢710
光永山
多福寺(曹洞宗)
縦40cm
横236cm
多福寺は、本町沼沢地内を通る国道113号線沿いにある曹洞宗の寺院である。寺の近くを桜川と間瀬川の二つの川が流れ、両川は寺のやや上流で合流する。昭和20年代中頃までは、この川にも鮭や鱒などが遡上して来ており、ヤスで突いてとったと言う古老の話もある。
町指定文化財「多福寺の欄間」は、この寺本堂の須弥壇(しゅみだん)の上におさめられている木製の彫刻で、昭和59年3月31日町の文化財に指定された。その後昭和60年8月、「広報おぐに」で紹介されているので、その内容をもとに再度紹介する。
「多福寺は、創建が寛永二年(1625)とされている。その後、年代はわからないが火災に遭い消失し、現在の寺は寛政五年(1793)九月に再建されたものである。
また、この寺には棟札が整然と飾られている。棟札によると、住職は現聯師、棟梁大工は利三郎と記されている。この他に、長助や初太郎という大工の名もある。本尊の釈迦如来は、文化六年(1809)、この寺の十七代の浄明の代に沼沢村の佐藤嘉伝寺という人が寄付したといわれている。ここで紹介する本欄間は、多福寺を再建する際、つまり寛政五年につくられたと推定される。
本堂の中央にある欄間には仏教を守る神とされる竜が彫られている。この左右には、天女を彫った欄間がある。この天女は、人間が死ぬと行くという地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天井の六道のうち、天界にすむ天人の姿である。
中央にある竜の大きさは、縦が40cm、横が248cm。その左右にある雲形と天女はそれぞれ縦51cm、横170cmで、構図、規模とも珍しいものである。」
寺社や民家などの和風建築において、欄間は天井から鴨居までの間に設ける開口部分のことを言い、本来の目的は採光や通風をよくするためのものである。その構図は、組木、格子、透かし彫り、そして多福寺の欄間のように彫刻を施したもの等様々である。
仏壇飾りと共に、竜や天女、雲形など見事な彫りのある欄間を配した当寺には、このほかにも、天保14年(1844)および大正14(1925)年銘のある俳句の献額などもあり、多福寺は沼沢地区の文化の殿堂ともいえる。