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盤昌寺の薬師如来像(ばんしょうじのやくしにょらいぞう)
小国町指定文化財(彫刻第13号)
昭和59年3月31日
小国町大字北
仙洞山 盤昌寺
像高55cm
肩幅21cm
台座17cm
盤昌寺(慶長2年=1597開山)の薬師堂は、北集落はずれ(田沢頭寄り)の山裾に建っており、ここに町指定文化財”盤昌寺の薬師如来像”が祀られている。
本像は昭和59年3月31日、彫刻第13号として町の文化財に指定され、その後、昭和60年11月には「広報おぐに」でその内容が紹介された。それによると、薬師如来像と薬師如来像を取り巻く当地の歴史は概略次の通りである。
「現在クアーズテック株式会社の事務所がある裏側あたりは、伊達時代初期に石仏館のあったところで、かつては土塁と空堀の跡がみられた。当時はここが小国城代栗生田氏の居館で、小国行政の中心であった。
その後、上郡山氏の時、小国城が構築され、石仏館を中心に北方を北部落、西方を西部落と呼ぶようになり、北には薬師、西には稲荷が祀られていた。当初薬師如来は、北部落の北方にある丘陵の上に祀られていたが、社殿が腐朽したため山裾に社殿を建て遷座された。
本像は一木造りの作風であるが、両手は挿入式で白毫は省略されている。 右手は施無畏(せむい)の形をしているが、残念ながら指の部分が損傷している。左手には薬壺を持っており、薬師如来としての基本的なお姿をしっかりと示している。色彩は剥がれているためほとんどわからない。」
当初この像は北の開祖伊藤惣左エ門家の守り神として祀られていたものだが、その後盤昌寺に寄進され現在に至る。
『小国の文化財』によれば、薬師堂に遷座されるに当たっては、腐朽していた部分を東京銀座の松慶堂に依頼して補修をおこない、その時欠けていた薬壺と台座も新たに設けたという。補修に当たり、松慶堂は当尊像の造顕時期を室町中期と鑑定している。