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焼山の薬師如来像(やけやまのやくしにょらいぞう)

更新日:2018年2月6日更新 印刷ページ表示

焼山の薬師如来像の画像

名称

焼山の薬師如来像(やけやまのやくしにょらいぞう)

指定区分

小国町指定文化財(彫刻第14号)

指定年月日

昭和60年3月31日

所在地

小国町大字焼山

所有者(管理者)

薬師様氏子

寸法

総高38.5cm
像高31.5cm
肩張13.6cm
膝張19.1cm

概要

焼山は、町の中心部から北方に12km程離れた荒川右岸の集落である。この集落の山裾に建つ通称薬師様と呼ばれている薬師堂に、町指定文化財 「焼山の薬師如来像」が祀られている。

薬師堂の裏手には、集落上流の荒川から水を引いた用水堀 ”上原(わのばら)用水”(現四ヶ字水路組合用水)が通っている。この用水堀は、江戸期の所産とされ、焼山、中島、荒沢各集落の農業用水や生活用水、そして防火用水等として利用されている。また、薬師堂の辺りからは、雄大な飯豊連峰の山並みを望むことが出来、大変景色のよい所でもある。このようなところに薬師堂は建てられている。

薬師堂の本尊である薬師如来像は、頭髪が螺髪(らはつ)の一木造りの座像である。また、差し込み式の両手は欠落している。両手があれば右手に病者の求めにこたえて与えるという与願印を、左手には薬壺を持っていただろうと見られる。像高は31.5cmで、内刳りはされていない。蓮台には三段の連弁がつけられているが、前面が破損している。本尊、台座ともに胡粉、朱、緑青等の岩絵具で明るい色彩が施されている。

本像の詳しい由来は不明であるが、堂宇の来歴は次のようなものである。お堂は、宝永六年(1709)に大日如来を安置するために建立され、文化14年(1817)に大日堂の荒廃を嘆いた同村の渡部茂左エ門が大願主となり 「薬師瑠璃光如来」を本尊として迎え、薬師堂として再建したと言われている。その時の遷宮導師は上小松(現川西町)の南善院で,別当は太鼓沢の不動院(朝日山斉恩寺=現日光院)であったという。

残念ながら尊像の一部は傷んでいるものの、素朴な印象の像形からは、病苦平癒と現世利益を祈り、あたたかくひた向きな信仰心をもって守り続けて来た地域の人々の心がうかがわれる。