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清安寺の不動明王像(せいあんじのふどうみょうおうぞう)

更新日:2019年3月26日更新 印刷ページ表示

清安寺の不動明王像の画像

名称

清安寺の不動明王像(せいあんじのふどうみょうおうぞう)

指定区分

小国町指定文化財(彫刻第17号)

指定年月日

平成4年3月31日

所在地

小国町大字白子沢286

所有者(管理者)

白沢山清安寺(曹洞宗)

寸法

総高240cm
肩幅40cm
頭長53cm
顔長24cm

概要

清安寺の不動明王像は、元をたどれば西滝の不動院付属の不動堂に祀られていたものである。しかし、不動院が廃寺となったため、不動明王像を祀る不動堂の別当は長年にわたり同じ西滝にある正福寺がつとめて来た。だが、昭和45年11月、滝集落が集団移転することになったため、不動明王像は清安寺に寄託され現在に至っている。 『小国の文化財』によれば本像の概要は次の通り。

「不動明王像は寄木造り、火焔光背(かえんこうはい)、上半身は裸、等身大の堂々たる像である。総高240cm、肩幅40cm、頭長53cm、顔長24cm、右手に剣、左手に羂索(けんさく)、下牙にて上唇をかみ、髪は束ねて左側に垂れている。頭上に仏法守護の迦楼羅(かるら)をつけ仏法守護を表している。」

不動明王像の歴史と、本像が清安寺に寄託されるまでの経緯は次の通り。

西滝の不動院は修験宗の寺院で、ここには不動明王像を祀る付属の不動堂、通称「滝のお不動様」があった。『小国の文化財』によれば、不動院は永保元年(1081)の開創で飯豊山登拝時の先達をつとめていた。ところが、永禄四年(1595)飯豊山別当のことで会津蓮華寺との間で論争が起こり、それがもとで火災に遭い廃寺になったと言う。不動堂はその後再興され不動院にかわって正福寺が別当をつとめて来た。しかし、集落移転が決まった昭和45年、村内では不動明王像の行く末が問題となった。処置を一任された正福寺の役員は、白子沢の清安寺と話し合った結果、同寺が寄託を受け入れてくれる事となり問題の解決に至った。その後清安寺に遷座されるまでの状況は、元滝集落出身者で正福寺役員の福盛吉之助氏が、自身の著書『ある山里の歴史』の中で次のように述べている。

「不動明王像をお移しする当日は両滝部落民に御開帳になりました。それから箱にお納めした不動明王像を清安寺までお移しすることになりました。途中がじゃりの道路ですから、破損するのではないかと心配しました。高橋(初)さんが布団を寄付してくださり、以前不動堂の修理に当たった高橋(一)さんが自分が運ぶと申し出て下さり、村人に送られ18キロ離れた清安寺に向かいました。この時、村人たちが別れを惜しむあまりに、出発時間がたいそうおくれ清安寺についたのが夕暮れであったことが今も切なく思い出されます。」

数奇な運命をたどってきた不動明王像であるが、新地においても地域の発展と住民の安寧を静かに見守っている。