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円長寺の地獄変相図(えんちょうじのじごくへんそうず)

更新日:2017年8月7日更新 印刷ページ表示

円長寺の地獄変相図の画像

名称

円長寺の地獄変相図(えんちょうじのじごくへんそうず)

指定区分

小国町指定文化財(絵画第1号)

指定年月日

昭和59年3月31日

所在地

小国町大字朝篠
如意山円長寺(豊山派真言宗)

管理者

朝篠地区総代

寸法

縦 120cm
横 55cm

概要

これは、小国町朝篠の円長寺に伝わり”地獄絵図”(地獄変相図)と呼ばれてきた、三幅で一組の掛軸である。

各図の上段には、極楽浄土からの来迎図が描かれている。左図下段には、獄卒を従え椅子に腰を掛けた閻魔大王も見える。同図下段には、鬼に舌を抜かれている図の他、臼で搗かれている図、天秤にかけられ罪の軽重を量られている様子等が描かれている。そして、右図には、三途の川を渡ってきた死人の身ぐるみをはぐ奪衣婆(だつえば)の姿など、地獄の様子が赤、青、黄、黒、白等の絵の具で描かれている。

古く地獄の思想は、インドから中国を経て日本へ伝えられたと言われる。平安時代の末ごろには、死後、西方にあるという極楽浄土から阿弥陀如来が大勢の菩薩を従えて迎えに来るという教えが信じられていた。そして、鎌倉時代には地獄絵図が盛んに描かれ、不安の救いを念仏に求めるようにと僧が仏教を庶民に広める道具として使ったと言われている。

地獄変相図のようないわゆる地獄絵は、県内では、米沢市、南陽市、上山市、山形市、酒田市等の寺院で所在が明らかになっているが、本町では円朝寺以外知られていない。また、地獄変相図は、地獄変、地獄絵、地獄図、地獄絵図、などとも呼ばれているがいずれも同類である。