本文
上の写真は、一枚の文書を二分割して示した。
景虎の府内大橋場掟書(かげとらのふないおおはしばおきてがき)
小国町指定文化財(古文書第1号)
昭和58年3月31日
小国町大字小国小坂町
個人
横89cm
縦14.5cm
これは、町内の旧家に代々引き継がれて来た、長尾景虎(上杉謙信)が石田惣左衛門に命じた府内(直江津)大橋場修理に関する文書である。本文書については、「広報おぐに」昭和60年3月号で紹介されているので、それをもとにもう一度紹介する。
「天文年代、景虎(上杉謙信)が現在の新潟県上越市に居城である春日山城を構えていたころ、この地を流れる荒川と金谷川との合流点が交通に便利な地域であったことから、ここに大橋をかけ往来する人々の通行の便をはかっていた。そして、景虎は、石田惣左エ門にその地の交通管理に関する役職を命じていた。
この古文書は、その役目について書かれている。内容は、荒川の渡しの管理のことや市場等が開かれる時の交通の管理のこと、それに僧侶や旅人、眼の不自由な人の通行管理等を命じている。万一、大事がおきた時には捕り手をさしむけて治めよと、厳重なほどにその役職内容が指示されている。
そのころ、大橋場(五智街道と直江津街道の分岐点にあたる府内というところ)の橋が壊れた。景虎はその修理を石田惣左衛門に命じ、往還の人々のために掟を定めて示した。
この文書は天文十八年(1549)卯月二十七日(卯月=陰暦4月)と明記されている事から、今から(2018年起算)約470年前のもである。尚、本文書は新潟県史や上越市史等にも取り上げられている他、上杉家歴代藩主の記録である上杉家御年譜天文18年夏四月の項にも、「府内大橋場ノ橋大破ニ及フ 依之修造ノ事有リ 石田惣左衛門奉行セリ」と記されており、中世の文書としては貴重なものである。