本文
東山紺野遺跡出土の黒曜石製石器(ひがしやまこんのいせきしゅつどのこくようせきせいせっき)
小国町指定文化財(考古資料第1号)
平成31年3月26日
小国町大字小国町
個人
2点
全長12.2cm
幅4.9cm
全長9.2cm
幅4cm
黒曜石製石器が出土した東山紺野遺跡はJR小国駅の東方700m、岩井沢地内にある後期旧石器時代終末期の遺跡である。近隣には「東山型ナイフ」(下記※東山型ナイフをご覧ください)の標式遺跡となった東山遺跡のほか、岩井沢遺跡や平林遺跡等、石器文化の異なる後期旧石器時代遺跡が点在している。これらの遺跡の内、岩井沢遺跡と東山紺野遺跡は、地元小国高等学校による研究活動が発見の端緒となった遺跡として知られている。同校の研究活動成果をまとめた記録によれば、東山紺野遺跡発見の経緯は以下の通りである。
昭和47年6月、小国高等学校長の高山法彦氏は、紺野嘉美氏から自宅脇の畑から出土したとされる石器を見せてもらった。その石器は、尖頭器、片刃石斧(かたはせきふ)、石刃、石刃尖頭器、そして掻器(エンドスクレーパー)等のいわゆる後期旧石器時代の特徴を持った石器群で、石材は主に、本町出土の石器に広く見られる珪質頁岩の他、本町では珍しい黒曜石も含まれていた。この事に注目した高山校長は直ちに山形大学教育学部加藤稔講師に連絡した。これが契機となり本遺跡はその年の11月、山形大学大教育学部加藤ゼミと小国高等学校郷土史研究部によって調査が行われ、4点の黒曜石剥片が採取された。加藤氏等は、石器出土地点が東山遺跡の近くにある紺野氏の耕作地であったことから、遺跡名を「東山紺野遺跡」と命名した(山形県立小国高等学校『古里の研究』1973年)。
本遺跡出土の黒曜石製石器は、長さ9cmの尖頭器と、同12.2cmの片刃石斧の2点で、「御子柴・長者久保石器文化」の仲間に入る石器(1.5~1.6万年前)とされている。一方、黒曜石はこれまで本町の山域や河川などから発見された例が無く、その上外見だけでは原産地を判断する事が出来ないため、長らく本石器の石材原産地は不明のままであった。
こうした中、平成30年5月、旧石器考古学に詳しい渋谷孝雄氏(うきたむ風土記の丘考古資料館長)等は、蛍光エックス線分析法による県内遺跡出土黒曜石製石器の原産地同定結果を発表した(東北日本の旧石器時代を語る会編『東北日本の旧石器時代』六一書房 2018年)。その中には東山紺野遺跡出土の黒曜石も含まれており、2点とも青森県深浦産であることが判明した。紺野氏の発見、高山校長による注目、そして、地元小国高等学校と山形大学との共同発掘。これらを起点に研究が進められてから凡そ半世紀後の平成31年3月、本石器は石材原産地問題も解決しその文化財的価値が認められ、24年ぶりに町の文化財(有形文化財・考古資料第一号)に指定された。その概要は、令和元年5月発行の『広報おぐに』でも紹介されている。
氷河期で、しかも数百キロも遠く離れた青森県深浦から、この黒曜石はどのようにして本町へ伝わって来たのか、その経路はわかっていない。しかし、深浦と小国を結ぶとされるこの石器は、当時の交易範囲がいかに広域にわたっていたかを物語る歴史の証人とも言えるものである。
※東山型ナイフ:山形県西置賜郡小国町東山遺跡採集のナイフ形石器を標式とするナイフ形石器のこと。(『旧石器考古学辞典』学生社刊2001年より)