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五味沢の獅子踊り(ごみざわのししおどり)
小国町指定文化財(民俗芸能第1号)
昭和59年3月31日
小国町大字五味沢地区
五味沢獅子踊り保存会
神社奉納、施設の落成記念、祭り、その他、(活動休止中)
小国町の北部、五味沢と舟渡両地区に伝わる獅子踊り。これらはいずれも本町に古くから伝わる民俗芸能で、そのうちの五味沢の獅子踊りは、昭和59年3月民俗芸能第一号として町の文化財に指定された。指定後の昭和60年5月には、「広報おぐに」でも紹介され、当時の広報によれば本獅子踊りの概要は次の通りである。
「五味沢の獅子踊りの起源は明らかではないが、次のように言い伝えられている。天正十年(1582)、越後春日山に居城をかまえていた上杉景勝が、上田の真田幸村を上杉家に人質にとっていたことがあった。その時幸村の父昌幸は、わが子を慰める為、上田近郊で行われていた獅子踊りを越後につかわした。それを習い覚えたのが始まりで、上杉が米沢に移ったあとも、これを保護し、藩内に広めたのが置賜獅子踊りと言われる。五味沢の獅子踊りもこの流れをくむものであろう。当獅子踊りに関する記録としては、地元旧家に伝わる獅子入れ箱に、文政三辰歳(1820)七月吉日、覚(世話方、契約頭:徳網・樋倉・出戸・居村各村の代表者)と書かれているものがある。
構成は、一人立ちの獅子のオス・メス・小獅子の三獅子を中心に、女装の太鼓打(踊り子)十人、歌かけ十人以上と笛三人で、曲目に合わせて踊るものである。
素朴な踊り子の踊りと愛嬌のある獅子頭、軽快な舞などが、五味沢の野山と調和して、なんとも言えない情緒感を与えてくれる。
また、この獅子踊りは、「蓬生戸街道(柳生戸街道ともいう)の大峠を越え越後から五味沢にやってきた十数名の一団により伝えられた」ともいわれ、大正8年まで興行した。その後一時中断したが昭和38年地元有志の努力により再興したといわれている『小国の文化財』。
しかしながら、長年地域の人々の絆をつないできたこの獅子踊りも、担い手不足により、昭和61年8月の、役場新庁舎完成祝賀公演を最後に活動を休止している。